祝 天皇杯受賞

新しい生産体制を目指して(V)
共同化による全養殖工程のトータルシステムへ

 

千葉県天羽漁業協同組合湊支所のり研究会   
畑中 功 

 

 私たち天羽漁協湊支所のり生産組合では,昭和60年から13年間にわたって,のり養殖の共同化を進めてきました。この間,養殖技術の進展,あるいは操業者数の減少などに対応して,さまざまな機械化や,操業体制の見なおしなどを行ってきました。その結果,操業者数が大幅に減少しているにもかかわらず,当初を上回る生産量をあげているなど,以前に比べて,生産工程の合理化が大幅に進みました。
 しかしもちろん,すべてが順調にいっているわけではなく,これから改善すべき課題も少なくありません。むしろ,見方によっては今まで比較的簡単に手をつけることができた課題はそれなりに改善することができましたが,手をつけることができなかった課題,つまりさらに困難な課題が残されていると言えるかも知れません。今回は,私たちのり生産組合の共同化の歴史をふり返りつつ,現在残されている課題を整理し,今後の発展のための道すじを考えてみたいと思います。

 

1.漁場の位置と特徴   −条件のきびしい外洋性の漁場

 千葉県ののり養殖魚場は,房総半島の東京湾沿岸にあり,大きく3地域に区分することができます。それらは,最も北に位置する船橋,市川市地先(千葉北部地区)と,中部の盤洲干潟沿岸の木更津市地先(木更津北部地区,同南部地区),それに私たち湊支所の属する南の富津市周辺の漁場(富津地区,内房北部地区)です(図1)。

 私たちの漁場は富津市周辺でも最も南に位置し,房総半島南部の岩礁海域との境界部にあり,漁場の中央2級河川の湊川がそそいでいます。他の漁場に比べて外洋の影響を最も強く受けるため,波やうねりが大きいと同時に,栄養塩類は少なめで,冬場は水温が高めです。特に,黒潮分枝流が波及した場合には,極端な低栄養塩と高水温に悩まされます。さらに,大雨があったときには湊川からの出水があり,低塩分や大量の浮泥が問題となります。つまり,のり養殖にとってはたいへんにきびしい条件を宿命的に持っているといえます。

 

2.共同化の始まり  −昭和59年の製造工程の共同化

 私たちのり生産組合は,昭和59年の大型製造装置の導入を機会に,本格的なのり養殖の共同化に入りました。つまり,それまではそれぞれの漁家が個別に行っていた小規模なのり製造を,大型機械を使って共同で行うことにしたわけです。表1はそのときの共同化の状況を示したものですが,その時点では,のり養殖の全体工程のうち,以前から共同で行っていた養殖施設の設置と撤去に加えて,製造工程を新たに共同化したことになります。

 その結果は以前にくわしく報告したとおりですが,品質が向上して,昭和58年にはほとんどなかったAランクが大きく増え,Cランクの下物がほとんどなくなりました(図2)。また,製品の質のばらつきが少なくなって,ロットが大型化したこともあって,平均単価が110円から約160円へと,大幅に上昇しました。つまり,この時の製造工程の共同化は大成功だったわけです。

 

3.現在までの歴史  −平成8年までのハードとソフトの変遷

 現在は,それからすでに13年が経っているわけですが,この間にさまざまな状況の変化がありました。一つは人数の問題ですが,13年前には合計で34人であった人数が,県内の他の地区と同様に大幅に減少し,現在では半分以下の16人になっています(図3)。

 しかし,幸いにして,若い後継者があたらしく加わってくれたため,年齢構成は,13年前とさほど変わりません。40〜50才代を中心に,残りが30代と60代を合わせて約3割という構成になっています(図4)。

 また,作業工程は,施設の新設や機械の導入などによって,大幅に変わりました(表2)。まず,昭和62年には,糸状体の共同培養舎が完成し,以前はトロ箱で平面培養を行っていたのが,垂下式培養で,共同で管理を行うようになりました。

 加えて,昭和63年には,高速摘採船が8隻導入され,それまでは個人で行っていた摘採を,4人1組で共同で行うようになりました。人数が,16人に減少した現在では,2人1組になりましたが,共同で行っていることには変わりありません。
 さらに,平成5,6年には陸上採苗装置が3基ずつ,合計6基設置され,持ち網の100%を,陸上採苗で行うようになりました。当然ながら,陸上採苗は,全員の共同作業になりました。
 しかし,何と言っても最も大きかったのが,運営面の調整でした。どこの組合でも同じでしょうが,共同化を行うときにいちばん問題になるのは,個々の生産者の取り組む姿勢に差があることです。のり養殖一本に取り組む若い人は,一家の大黒柱として何とか収益を上げようと一生懸命ですが,他に収入がある人や,もう年をとってそれほど働かなくてもいい人は,自然とそれほど力が入りません。当然それは生産する原藻の質や量をはじめ,製造機械の運転当番の時の管理の細かさにも影響してきます。
 このような状態,つまり各人の作業の質や量に大きな差がある状態が長く続くと,次第にみんなの心にいろいろな不協和音が生まれてきます。共同化を維持するためには,みんなの結束を乱すことはできません。そこで,平成5年に,私たちは何度も話し合いを持った結果,生産枚数の少ない人に増産を促すため,2つの目標を決めました。一つは,1柵あたり一定以上の種網を確保するため,1人が少なくとも480枚以上の種網を持つこと,もう一つは,製造機械の運転経費をまかなうため,各人が年間30万枚以上の生産を上げることです(表3)。これは,今までのりの生産量が少なかった人たちにとってはかなりきびしい目標でした。その結果,ある程度は予想されたことですが,年間の生産枚数が少なかった人たちを中心に多くの人がのり養殖を断念し,休業もしくはのり養殖組合を脱退していきました。この時の選択は,残る者にとっても,休業や脱退する人にとってもたいへん重い決断でした。

 しかし,残った人はいずれものり養殖に必死で取り組もうとする人たちでした。以前に比べて結束はさらに固くなり,人数が少なくなったのにかえって共同作業が早く終わるといった現象などもありました。

 

4.生産の変化と新たに生じた問題  −質から量への転落

 以上のような状況の変化の結果,生産面はこの13年間にどのように変わったかというと,まず,人数が減少したのに対して,全体の柵数がそれほど減らなかったので,1人当たりの柵数が大きく増加しました。平成7年には,13年前の2倍近くの,1人当たり90柵以上になりました(図5)。また,1柵あたりの生産枚数も,多少の変動はありますが,増加してきています。これは,平成3年に導入した,高速摘採船の影響も大きいと思われます。

 つまり,1人当たりの柵数が増えて,1柵あたりの生産枚数が増えたわけですから,その結果,当然のこととして,1人当たりの生産枚数が大幅に増加しました。平成6年には100万枚を越えています(図6)。その生産枚数の増加に対応して,1人当たりの生産金額も上昇し,以前は400〜600万円であった金額は,平成6年には1000万円を越えています。

 以上のようなデータで見る限りでは,この13年間の取り組みは,順調このうえなく,問題がないように見えます。
 ところが,この生産金額の増大の裏には,じつは大きな問題があったのです。
 この間の平均単価の変化を見てみますと,昭和60〜62年には千葉県平均および富津地区の平均を上回っていましたが,その後はそれらを下回り続けると同時に,平成2年以降は連続的に低下して,共同化以前とほぼ同じ100円近くまで下がっています(図7)。

 製品の等級構成の変化を見てみると,最近数年の間の大きな変化がわかります。つまり,Cランクの下位等級が急激に増加し,Aランク,Bランクの上位等級が減少していることです(図8)。共同化当初の昭和60,61年と比べると,Aランクの製品が1/4以下に大きく減少しています。

 こういった等級の低い製品が急激に増加した年は,1人当たり生産枚数が増加した年と対応しています(図6)。これはつまり,生産枚数が増えた代わりに,品質が低下したことを示しています。いいかえれば,生産金額が増えたのは,質の低下を量でカバーした結果だということがわかります。これは,高品質ののり生産を目指す私たちにとって,ゆゆしき問題です。
 さらにそれに加えて,生産枚数を増やすために,以前に比べて労働時間が長くなってしまいました(表4)。特に,製造では,大量の処理をしなくてはならないため,機械を運転する時間が伸びて,深夜から早朝にまで及ぶことがあり,作業的に大きな負担になってきました。

 

 また,この製造にかかる時間が長くなるということは,反対に海上作業にあてる時間が少なくなるということです。その結果,網管理がおろそかになって,いっそう原藻の質が低下し,質の悪い製品の生産につながる,という悪循環を起こしていることがわかりました。

 

5.問題の解決にむけて  −量から質への回帰

 そこで,のり生産組合では集会や反省会などで現在抱えている問題点についてたびたび話し合いを持つと同時に,研究会では一般の組合員が最近の問題をどのように感じているかアンケート調査をしてみました。その結果を集約すると,やはり意見として多かったのは,

(1)等級や,単価の低下が目立つようになったこと。

(2)生産者の減少にともない,仕事の量が多くなったこと。

という2点で,多くの人が共通の感想を持っていることがわかりました。
 そこで,この2つの課題にしぼって,さらに原因とその解決の方法を考えてみました(図9)。

 まず,下位等級の増加は,原藻の問題と製造上の問題に分けることができます。このうち原藻の問題では低品質の原藻が混入することが最も大きな問題です。これを改善するためには,3つの方法が考えられます。それは,均質な網の養成,良質な網の養成,そして,低質な原藻を採らないことや混ぜないことです。
 まず,均質な網を作るためには,漁場を,生産性に応じてブロックに分け,今まで個人で行っていた網管理を,共同で行うことが良いと思われます。 また,質の良い網を作るためには,念入りな管理,つまり十分な作業時間が必要になります。そのためには,製造機械の性能を向上させて,製造にかかる人員を減らすことや,班編成や当番の体制を見直すことなど,が考えられます。
 当然のことながら,質の悪いのりを採ったり混ぜたりしないように,明確な基準を作って,厳しく守ることも重要です。

 製造上の問題としては,製造機械が老朽化して,製品の質が不安定になっていることが上げられます。これには,費用の問題はありますが,新しく,性能の良い,大型の機械を入れるのが最も効果的だと思います。同時にこれは,製造にかかる人員を削減することにも,つながると思います。

 労働量の増加は,海上作業と,陸上作業の,両方の作業量の増加が考えられます。このうち,陸上作業については,大型機械を導入することで,改善できると考えています。

 網管理を中心とした海上作業は,人員をグループ化して,共同で助け合うことなどで対処していこうと考えています。同時に,陸上作業で省力化できた労働力を海上作業に回すこともできます。

さらに,質のいい原藻を選んで摘採するようにすれば,製品の質が向上し,必ずしもいつも大量の生産を行う必要はなくなって,自然に作業負担は少なくなると考えられます。

 

6.さらなる発展へ  −共同化の問題は一層の共同化で解決していく

私たちのり生産組合の共同化は全員参加が前提です。しかし,それは全員で同じ作業をするということではなく,全員がそれぞれの役割に応じた違う仕事を担当するということです。それぞれの担当の作業は5人前後の小グループを一つの単位として動き,この小グループの中では各人が調整しながら平等に作業を進めていきます。

私たちの共同化が13年間にわたって継続し,これからもさらに発展させていくことができる理由の一つにこのやり方,つまり,個人→小グループ→全体,という段階を踏んだ運営方式があるように思います。

そして今,最も困難であると考えていた網管理の共同化も,この方法で乗り越えていけるのではないかと考えています。網管理の共同化は,私たちののり生産組合で実施してきた共同化の最終段階とでも言うべきものです。これを共同化することによって,私たちののり養殖工程は,ほぼ全体が共同化になることになります(表5)。

繰り返しになりますが,これを成功させるためには,ただ単に班の編成や当番などを細かく決めれば良いというわけではありません,各人が全体の仕事を進めるための組織の一員となり切れるかどうかが重要です。言い替えれば,私たち一人一人の,意識の問題とも言えるでしょう。

最近は,千葉県だけでなく,全国的に見てものり養殖の生産者は減り続けているそうです。それにも関わらず,のり養殖は毎年100億枚前後の生産を続けています。また,平均単価は必ずしも上がってきているとは言えないようです。つまり,生産者数の減少,労働量の増加,価格の安値安定など私たち湊支所で起きた問題は,必ずしも湊支所だけの問題とは言えないのかもしれません。

私たちは,13年前に,のり養殖の共同化という困難な道を歩き始める決心をしました。そして,13年たった今でも直面している課題は多く,たいへん困難です。最終的なゴールに近づくために,今後もみんなの気持ちを合わせて力強く歩き続けるつもりです。


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